高野文子「ドミトリーともきんす」

詩というものは気まぐれなものである。ここにあるだろうと思っていっしょうけんめいにさがしても詩が見つかるとはかぎらないのである。

ごみごみとした実験室の片隅で、科学者はときどき思いがけない詩を発見するのである。

しろうと目にはちっともおもしろくない数式の中に、専門家は目に見える花よりもずっとずっと美しい自然の姿をありありとみとめるのである。


いずれにしても、詩と科学とは同じ場所から出発したばかりではなく、行きつく先も同じなのではなかろうか。

そしてそれが遠くはなれているように思われるのは、とちゅうの道筋だけに目をつけるからではなかろうか。

どちらの道でもずっと先の方までたどって行きさえすれば、だんだんちかよってくるのではなかろうか。

そればかりではない。二つの道はときどき思いがけなく交差することさえあるのである。

(湯川秀樹「詩と科学 ─子どもたちのために─」)

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