高野文子「奥村さんのお茄子」
楽しくてうれしくてごはんなんかいらないよって時も
悲しくてせつなくてなんにも食べたくないよって時も
どっちも六月六日の続きなんですものね
ほとんど覚えていないような、あの茄子の
その後の話なんですもんね
今まで何千回も繰り返してきた食事は、例えばおとといのおかずがなんだったのかは忘れてしまうようなことだけど、そのひとつひとつが、今の自分ができるために必要な事件だった。そして、それは何を食べたかというだけの話ではなくて、事件に立ち会ってくれた人や、場所や、虫や天気や、たとえば自分が行ったこともない場所でエボラ出血熱が流行していることとかも含めて、たった今ここで、同じ時間に起きているすべての話だ。途中で突然描かれる家電製品や、醤油差しに整形した宇宙人が、身の回りのいつも通り過ぎてしまうような、物のひとつひとつがきちんとディテールを持っていること、わたしのささやかで壮大な事件にいつも立ち会ってくれていることを教えてくれる。 #本
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